SPEED☆STAR

 


↑関東支部が発足して間もない頃の1コマ
○SPEED★STARとの出会い

大学卒業後、福岡から神奈川に移り住んでいた当時(私がフルノーマルの黒ソアラちゃんに乗っていた1998年頃)のお話です。そのころ同じ大学から神奈川に移り住んできていたR31スカイラインGTS-R乗りのマジオ君と箱根に行ったりして遊んでいました。

確かあれはスカイラインフェスタ(長野県岡谷)の帰り道だったと思います。辺り一面スカイラインで埋め尽くされた駐車場(第1〜第5くらいまでビッシリ)を見た私は『ソアラのオーナーズクラブのメンバー募集とかはないんかな』とマジオ君に話しながら帰った気がします。

もちろんインターネットでオーナーズクラブがあったのは知っていました。だけど申し訳ありませんがそのどれもが嫌でした。理由は今でこそZ10〜Z40までソアラと認めていますが、当時自分の中では『ソアラはZ10かZ20だけでZ30からはソアラじゃない』という考えだったからです。

そんなある日、マジオ君から雑誌を渡され(OPTION2だったかな)Z20ソアラのメンバー募集が載っていることを教えられました。そこには『Z20ソアラ限定オーナーズクラブSPEED★STARの関東支部立ち上げにつきメンバー募集』と書いてありました。それを見た私は連絡方法が葉書だったので早速葉書を購入し投函。連絡が来るのを待つことになります。

後日連絡がイッシーさんからあり会うことに。色々話をしてみると元々同じ福岡県出身の方でスピスタの九州支部の支部長もやってらっしゃるとのこと。今回仕事の都合で東京へ引越ししたため関東でも立ち上げることになったということでした。九州支部は後任ができるまではイッシーさんが支部長を兼任するという形。

地元も同じで良い方だったので入会したい旨を告げ、この時点から私とスピスタの付き合いが始まることになりました。ちなみに関東支部はイッシーさんと私まる助と、このとき同時に加入された女性の方と3人で発足したのです(恐らくこのときの関東支部は第2次発足だと思います)。上の写真は3人でメンバーを募り始めて間もない頃のもので、私が神奈川を去る頃までには十数台にまでメンバーは増えていました。

 

 


↑イッシーさんと私が福岡へ戻ってきた頃の九州支部の1コマ
○SPEED★STAR九州支部へ移籍

その後、神奈川での生活に幕を下ろしフルエアロ状態と変貌したソアラちゃんとともに福岡へ帰郷することになります。スピスタ九州支部では後任の支部長候補がおらず、そのときもイッシーさんが兼任されたままの状態でした。

私の九州支部への移籍も暖かくメンバーが迎えてくれました。ちなみにその後長い付き合いとなるトミーさんとはこれより前に会っているはずです。確か1999年5月にGWを利用して帰京した際に一度会っている気がしますが定かではありません(笑)。

その後、私に遅れることちょうど1年後イッシーさんも福岡へ帰郷され、この頃のスピスタ九州は勢いがかなりあったと思います。そのころ九州メンバーは十数台おり、中州の屋台ラーメンを食べにいったりしたのも懐かしい思い出です。

ちなみにイッシーさんのいなくなった関東支部は活動休止状態となり、しばらくして自然消滅になったようです。中心人物がいなくなったあとの維持というのはなかなか難しいものですが、せっかく3人で立ち上げたものが消えてなくなったというのは寂しい限りです。

その後、Hさんを支部長にして関東支部は再結成されましたが残念ながらHさんがソアラを降りてしまい自然消滅。現在(2014年)、支部長不在のまま数名のメンバーだけで活動されています。

スピスタとは関係ありませんが私がタービン交換などを自分でやり始めたのもこの頃からです。当時はもちろんガレージなどなく片屋根カーポートの下で作業していました。

 

 


↑イッシーさんのラストツーリングの1コマ

○SPEED★STAR九州支部 休止状態へ

2002年2月末、私のソアラの師匠ともいえるイッシーさんが諸事情によりソアラを降りることになり、九州支部は休止状態となります。その後メンバーも次々とソアラを降りていき、スピスタ九州支部は長くて寒い冬眠状態へ突入します。上の写真はイッシーさんと一緒に走った最後のツーリングの写真。

イッシーさんのソアラについて少し触れておくと、関東に2人とも在住していた頃は1G改2.2L仕様のフルチューンでした。そのあとスピスタ関東支部のオフで大黒PAに集合するときにエンジンブローし、広い大黒PAで当時のメンバー数人と押して移動させた記憶があります。イッシーさんはその日に積載車を手配しソアラを載せ、地元福岡のショップまで運転して持ち込んだというツワモノです。今となっては良い思い出です。

イッシーさんのソアラは7M改3.1L仕様のフルチューンとなってカムバック。外観は上の写真のように私が本当に好きな20ソアラのスタイル(白一色、純正フルエアロ、ローダウン、A70リップ)でいつも憧れで見ていたソアラでした。ちなみに私の2代目のソアラ君の見た目はイッシーさんのソアラを追った結果です。

 

 


↑イッシーさん脱退後の冬の時代の1コマ

○SPEED★STAR九州支部 長い冬の時代へ

イッシーさんがソアラを降りてスピスタ九州は壊滅状態となっていましたが、特に仲の良かったトミーさんと夢追人さんと私の3人は依然としてソアラに乗り続け、スピスタ九州支部を細々と存続させていました。ただ取りまとめ役の支部長だとかそんなものは何もなく、メンバー募集も一切せずにただ単にソアラ好き3人組として気ままに遊んでいました。

台数的には3台だけでまさに冬の時代でしたが、それはそれで非常に楽しかった時期でもあります。3人くらいだと都合も合わせやすくブラッと呼子にドライブに行っては海鮮を食べたり、中古車屋さんでソアラを物色したり、40ソアラ登場のときは試乗しにディーラーに乗り込んだりしました。

 

 


↑正樹さんを支部長として再活動し始めた頃の1コマ

○SPEED★STAR九州支部 本格的に活動再開

九州支部が冬の時代に突入して約1年後(2003年初頭)、一通のメールが私の元へ。これがイッシーさんのあと支部長となってくれた正樹さんからのメールでした。内容はほとんど覚えていませんが多分『20ソアラ限定オーナーズクラブ』という部分に惹かれ加入したいという内容だったと思います。

多分私は当時の現状を伝え、それでも良ければどうぞということで迎えたと思います。正樹さんはこのあと約1年にも渡り、私を九州支部の支部長だと思い込んでいたらしいですヽ( ̄∀ ̄)ノ。で、それが冬の時代の幕開けをさらに引き伸ばすことになり2004年初旬まで単なるソアラ好き4人組?状態が続きます。

その後、次第に九州のソアラ仲間も増えてきて(ヒロキンさん、しんのすけさん、Blueさん)、『本格的にスピスタ九州支部として活動再開してもいいのでは?』と思い始めました。支部長にはちょっと頼りない一面もありますが人柄的に正樹さんが適任だろうと私が勝手に判断して『支部長としてやってみないか?』と話を持ちかけ、めでたく2004年7月正式にスピードスター九州支部が再発足した次第です。

 

 


↑正樹さんが脱退した頃の1コマ

○SPEED★STAR九州支部 再び冬の時代到来か?

九州支部が活動再開して2年余り、メンバー数は10名を超えてオフでもかなり多くの台数が集まり始めます。そんな中2006年もあとわずかという時期に正樹さんがソアラを降り脱退。メンバーが4〜5人ならネットから影を潜めて冬の時代再来もアリ(意外と楽しい)でしたが今回はそういうわけにもいかず私が暫定的に支部長をやり、トミーさんがWebmasterを請け負うことに。

メンバー数が増えて活動が活発になると難しくなっていくのがその運営。元々同じ型のソアラに乗っているということだけで集まった集団。趣味嗜好が違うのはもちろん、性格も様々です。そのため色々と問題点が出てきます。

まず、自分を主張するのは大事だと思いますが、その前に他人を認めることが先。性格の合わない人間もいるだろうし、ハッキリ言ってソアラ自体の方向性も人それぞれ。気の合うメンバーもいれば合わないメンバーもいるのは当たり前。それはどこの世界も同じ。会社や学校と違って毎日顔をあわせる人間ではないのでお互いを認め合って付き合っていくのが大人。

また会費を徴収して会報を発行しているわけでもなく、どうしても連絡事項はメールや掲示板に頼らざるを得ません。顔の表情や感情の伝わらない活字だけでは冗談で書いたものが相手にはケンカを売っているように伝わったりもします。文章を書くことが上手な人、下手な人がいるのも当たり前。書くほうも注意するのは当然ですが、受け取った方もあまり神経質に悪い方向に捉えるのはナンセンス。

その他、難しいのはホームページの運営や管理が挙げられます。スピスタのHPの性格上、その主な役割は情報交換の場の提供であり、情報交換の場のメインとなるのは掲示板です。別に書き込みが少ないとか言って悲観することは全くありません。そんなに頻繁に話題があるわけではないのだから当然です。

ただし、掲示板の定期的な閲覧、オフ開催の書き込みに対する参加や不参加のレスはメンバーの最低限の義務だと私は思っています。それさえできない人間ははっきり言ってメンバーではありません。

まあそんなことを思いつつ2007年の新春オフを機に私が暫定支部長となり再スタートを切ったスピスタ九州でした。

 

 


↑龍陸さんがスピスタ九州に加入した当日の1コマ

○SPEED★STAR九州支部 黒船現る

私が暫定支部長として再出発してまもなく黒船はやってきました。それは2007年2月24日。メンバーに加わりたいというメールを受けダイヤモンドシティー(現イオンモール福岡ルクル)で会ってみることに。このときのメンバーはトミーさん、Blueさん、まる助の3人。

先に到着していたトミーさんと二人で待っているとスーツを着た人相の悪い巨漢がニーマルに乗ってやってきました。二人で目を見合わせて『とうとう来ちゃったよ』と言い合ったのを今でも忘れることはないです。仕方なく車に近寄ってみるとデカイ声で挨拶されました。顔を見るとこれまたデッカイ絆創膏?というか包帯?みたいなものが額に・・・

二人とも『これ絶対住む世界が違う奴や』と無言で顔を見合わせました。『顔どうされたんですか?』とビクビクしながら聞いてみると『いやちょっと転んでですね』という答え。『いやいやいやいや、そりゃ絶対違う。ケンカに違いない。これは絶対メンバー加入は断ろう』とトミーさんと目を合わせたことを覚えています。

この雰囲気を察知したのか龍陸さんは『自分教師やってます。名刺どうぞ』と。名刺を見るとなるほど教師。トミーさんは納得したようでしたが私は内心『これ偽造ちゃうんかい』と思っていたのはここだけの話です。

さて新メンバーとして加わった龍陸さん。このあとの活躍は皆さんご存知の通りです。

 

 


↑2010年全国オフに参加したスピスタ九州の1コマ

○SPEED★STAR九州支部 全盛期へ

龍陸さんが加入して1年くらい経ってしんのすけさん、それからさらに半年くらい経ってBlueさんが相次いでソアラを降ります。二人とも冬の時代の幕開けから長年大黒柱として頑張ってきてくれたメンバーでした。非常に残念でしたが仕方ありません。そんな中、その後主要メンバーとして活躍してくれることになるリッチーさん、まささんが加入します。

さて私はというと暫定支部長として約4年やってきましたが基本的に『俺について来い』というような性格ではなく、矢面にたって先頭を走るのは好きではありません。そのため支部長を誰かにやってもらおうと思いました。この時、支部長になってくれるとしたら龍陸さん以外に考えられませんでした。

そして恐らく龍陸さんがソアラを降りない限りずっと支部長をやってくれるでしょう。それはそれで大歓迎なのですがこういう盛り上がっているときこそ色々と考え、トミーさんとも相談し、支部長を毎年変えていくシステムにしようということに決めました。

主な目的は不平不満の撲滅。どういうことかというと自分で企画とか何もしない人間に限って『今回のオフはイマイチ』だの『オフの開催が少ない』だの『飲みオフばかりで面白くない』だの不平不満ばかりいう傾向があるからです。と言ってスピスタ九州メンバーにそういう人がいるというわけではありません。未然の防止です。

自分が支部長などになってみれば掲示板に書き込みしたとき、なかなか返事がそろわない場合のもどかしさとか、ツーリング時の大変さとか、そういったものが分かってくるようになると考えたのです。このときメンバー規約も一新して厳しくしました。幽霊メンバーは不要ですから。

 

 


↑リッチーさんのラストツーリングの1コマ

○SPEED★STAR九州支部 主要メンバー脱退で暗雲

2012年秋にまー暴さんが休止、2013年の年初にまささん脱退、同じく秋につよしさん脱退、2014年の年初にリッチーさん脱退、と2012年終わりから2014年始めにかけてメンバーが相次ぎスピスタから離れることに。

個人的には龍陸さん、まささん、リッチーさん、トミーさんの4人は盤石でスピスタ九州の根幹だと思っていましたし、今でもそう思っています。そのうち二人が抜けるのは正直つらいですし残念です。縁が切れるということはないので付き合いは続きますがやっぱり寂しいもんです。

そして2014年4月、私のHPがきっかけとなり発足以来初と言ってもいいくらいスピスタ九州の掲示板が荒れることに。普通だったら収拾がつかなくなり炎上してお祭りワッショイになるところですが、その時のメンバーの対応は素晴らしかったです。

どちらが正しいとかそういう以前に、意見の仕方(場所、手段)、意見の内容(否定ありきではない)、使う言葉の種類、これらだけを見ても人間性が分かるというものです。

 

 


↑SPEED☆STAR。出会いに感謝。仲間に感謝。

○後記

スピスタに加入した1998年頃、私のソアラちゃんはフルノーマルでしたし、車には全く詳しくありませんでした。初めてマフラーを社外品にしたときでさえ、ショップに頼んで終わらせていたくらいです。

そして現在・・・。今のところ結婚、子供とソアラを手放す2大イベントを何とかくぐり抜け、ソアラにチャイルドシートを付けていた頃を脱しましたが、誰もが単にソアラが好きということだけで維持できるものではないでしょう。そういう私だっていつ維持できなくなるか分かりません。

そして当HPも気が付けば膨大なページ数となり、いつのまにか自分の想像以上に輪が広がっているようです。HPが大きくなればなるほどファンも増えますがその反対も当然増えます。『大黒柱を蟻がせせる』というのは言い過ぎですが『蟻の穴から堤も崩れる』とも言います。

スピスタ九州も私のHPも現在のメンバーやファンを大事にするために“来るものは拒まず”から少し守りに入ることも必要なのかなあと思いつつ、本意ではありませんが当HPは会員登録制へ移行したのでした(2014年5月30日記)。